不憫だったんだよね。
彼女がさ。
そのときにはこう思ったんだ。
あの世話好きな子供大好き女、看護師としての最初の勤め口も小児病棟にするような彼女が、子供を4人も授かってやっと小中高校と3校にも渡って通い始めた子どもたちを残したまま入院し、その医療知識から「無駄」とおそらく分かっていたにも関わらずクソ医者の言うまま抗がん剤投与を続けた数か月、希望とあきらめの中で最期にあの旅行を望んだ、彼女のその思いに応えてやらねば。と思ったんだな。
まぁ、「クソ医者」というのは撤回する。 主治医にもルールがあったのだろうし・・・(こんなことを書いてしまいそうだから地名などを書けないのだよ)
そんなふうに始まった旅行計画だったのだ。
そうなんだ。不憫だったんだ。
最期かもしれないその望みを無視してでも治療を続けさせようなんて思えなかったし、「もう止めよう」と頭のどこかで考えていたから。
旅行のきっかけだけを明らかにしておく。
当時はこの病気のこととかを書いたり、どう看病していくか?とかの私なりの体験談を書いてどこかの誰かのヒントなりアドバイスなり役に立てば、と思って続けていたのだけれど、止めにした。
といったところで、なにか私自身が満足していなくて年月もだいぶ過ぎたのに・・・
だから自己満足でしかないかもしれないけれど、これを最後に終わりにしたい。
人それぞれだから。
このブログでは、これ1本で行く。
ではまた。